Wikipedia情報によるとこの作品が現在のホラー映画の立場を確立した事について異論を唱える者はいない。 とのこと。まぁ、この作品を土台にホラーが発展していったのかもしれませんけど、2007年に何も知らなかった目で見ると典型的なアメリカン・ホラーです。しかも完全B級。 正直に言って、恐いって感情よりも笑いが来ます。最初の人形がちょっとグロいぐらいで、後は超シュール。家の中に入ったらドアがバンッ!って開くシーンは何度見ても笑える傑作シーンでしたな。 なんというか、本当にギャグにしか見えないんですよね。チェーンソーで人を追い回したり、何度も同じパターンで捕まって殺されて。殺人シーンもあっさりしてるし・・・。 書かない恐さなのだと思うんですけど、自分は書かないより、書きすぎってぐらいの方に恐さを感じるタイプなので、あんまり恐くなかったですね。書かない恐怖には人形が踊ってるだけっていう印象しか持ちません。 それでも、恐さを感じるのならば終盤のもう死にそうな爺さんに「親父は名人だ、痛くないぜ」とか言ってるあたりぐらいですかね。あそこらへんは狂気を見出せるかもしれない。それでも、やっぱり今のサイコ・ホラーの方が断然デキが良いと思います。まぁ、古典だからそこらへんは仕方ないんだろうけど。 レザーフェイスが最後にチェーンソー持って夕日をバックに踊ってるシーンはなかなか良かったと思います。 この手の作品だと有名(らしい)な作品なので見といて損はないと思いますけど、恐いとかそういうのは気にしない方がいいと思います。ホラーを見るとビビってトイレに行けなくなる人種である自分が恐いと思わなかったので。まぁ、↑でも書いた趣向の違いってヤツかもしれませんが。
「こんにちわ、心葉くん」
文学少女シリーズ第4弾。今回はオペラ座の怪人をモチーフにしています。飢え乾く幽霊のときに海外物の嵐が丘がちょっと微妙・・・だったので、心配でしたが、上手くまとまっていたかと。ミステリ部分の解決がちょっと強引だったり、臣君の言動が謎だったり、ご都合主義的な部分が目立ちましたけど、まぁ、そんなのを気にするような作品ではないし、本作の魅力は違うところにあると思います。 1巻からひっぱりまくってた琴吹さん関連の話ですね。3巻のときも書いたけど、3巻で完デレに移行した琴吹さんとお近づきになるお話。 ツンデレ好きな人にはたまらないお話なのかな?ボクはツンデレラじゃないのであんまりどうこうは思いませんでした。パンツの話ももうちょっとなんかあるだろう・・・と。別にきっかけはパンツでもいいんだけど、それだけってのが。もっと井上に惹かれた!っていうエピソードがほしかったです。ひとつじゃ弱すぎでしょう。まぁ、あのひとつのエピソードの破壊力がすごかったとも解釈できるけど、個人的な趣味としてはもうちょっと欲しかったです。 あいつはななせに惹かれてるとか言ってたけど、そうかなぁ?あんまりそんな気がしないんですけど。 まぁ、これは今後の展開でってことなのかもしれないけど。 おそらく次はあのキャラが登場するんだろうけど、ヘタレる心葉が今から目に浮かぶ。 ○○は怒ってるんだ、小説なんか書かなきゃよかったんだ、そうすれば僕はずっと彼女の横で笑ってられたのに!、とかこんな感じの戯言をいっぱい言ってくれそうなので今から期待してますw 今度は何をモチーフにするのかな?ちょっと黒いのを希望したいですね。
「哀しみに泣いては喜びに泣き時に過ぎ去った想いにさえ涙を流すのだ。拙には、到底及ばぬ領域にて、あの男は生きておる」
大槻ケンヂの処女作・新興宗教オモイデ教を原田宇陀児が継承。雫の元ネタである新興宗教オモイデ教をうだるちんが書くってーのだから買わないわけにはいかないだろうと思い、購入。でも、ちょっと失敗したかなーって思います。どうやらうだるちんと俺が考えてるオモイデ教はちょっと違うみたいです。 まず、汎流だ誘流だのでメグマを複雑にした理由がわからないです。個人的には「そうじゃねーだろ、メグマはメグマだろ?」って感じです。メグマの能力がどうのこうのってのに重きを置く作品じゃないだろうと。 新興宗教とかメグマを通して狂ったような人間を見るのが原作の最大の魅力だったと思うんですよね。大槻ケンヂの世界観が好きだった身にはちょっちつらかったですね。 オモイデ教というよりもミステリ&ホラーの方が強まってますね。それとしての出来は決して悪くないと思うんですけど、やっぱりこれは新興宗教オモイデ教の名前を冠してるわけですから・・・。うだるちんの感性で描くとこうなるって話なんだろうけど、個人的にはグロだけじゃなくてもっと人間の壊れた感じを出して欲しかったかなと。いや、出てたんですけど、なんか違うんですよね。 結局、お上品過ぎるんだと思う。桜の月がどうのとかメグマの力がどうのとかは全然いらないんですよ。もっと雑って言うと変だけど、そんな感じでいいんです。 やっぱ大槻ケンヂは大槻ケンヂしか出せないんだな、って思いました。原作の雰囲気が最大の魅力!と思ってる人は買わない方が良いかと。 しかし、この坊さん、今作で急にすごい人になったっぽいけど、前作だと「ボス、こいつ使えるぜ」とかいう軽いノリのキャラじゃなかったっけ?なんか変貌しすぎて微妙ですな、なんだよ拙はって。 奇跡のコラボレーションシリーズって銘打ってますけど、続きは誰か違う人が書くってことなんですかね?そこらへんをもうちっとお知らせしてもらいたいですね。
「ぼくは明日地球を爆破するかどうか決断を迫られているんです」
横山光輝が描く傑作SFドラマ。地球滅亡SFに分類されると思います。なんとなくデビルマンに似ていると思う。どちらも地球のために身を粉に戦うが人類の愚かさに気がつき、最後は・・・ってパターンなので。個人的にはデビルマンの方が上だと思います。 デビルマンは主人公が本当に人類に絶望したんですよね。 「外道!貴様らこそ悪魔だ!俺は身体は悪魔になった…だが人間の心を失わなかった!貴様らは人間の身体を持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か!地獄へ堕ちろ人間ども!」 こんな名言もありますしね。マーズの人類は愚かなんですが、マーズが人類に絶望した描写が弱いです。 今まで死にそうになるまで人類のために戦っていたのに、いともあっさり・・・って感じでした。 もっと人類に絶望するようなシーンがないと納得できないですね。ラストはもう少し丁寧に描いて欲しかったかな。でも、あっさり終わっちゃって「え?」っていう感じも悪くはないんですけどね。難しいところです。 戦争を行っている野蛮とか残虐行為をしているとか書いてありますけど、戦争が起こる過程を調べれば「殺戮してー」といって戦争してる国なんてほとんどないですよね。そりゃ、戦争になったら人を殺すし、残虐行為もするでしょうけど。 何かを望むから戦争があるわけで。そこらへんをもう少し考慮してくれてもいいんじゃないかい、宇宙人さんよ?って思いがありますね。 こういうのはきっと作者が戦争は絶対悪と認識してるからかもしれないんですけど(間違ってるとは言いませんけど)、それだけじゃないだろうと思うんですよ。 自分はマーズみたいにあっさりと人類の可能性を否定できませんね。
「それじゃあ心葉くんは、わたしとも、会わないほうがよかったと思う?」
文学少女シリーズ第3段。今回は武者小路実篤の友情がモチーフになっております。自分も中学生ぐらいに友情を読みましたが、書かれた時代が古すぎて現代と感覚がズレてると思いました。「それまで誰の妻にもならないでください」とか言ってる暇があるならさっさとアタックしろや!と思っちゃうのですよね。昔にそんなことができないのは百も承知なんですけど、どうもね。本作の中でも触れられてたけど、杉子が野島をけちょんけちょんに言うのもちょっと。どんな悪女だよ!おまえみたいな他人の悪口を平気で言うヤツなんかこっちからお断りだ!って感じです。 あの小説は杉子の魅力がないと破綻しちゃうんですけど、全然魅力的に思えませんでした。だけど、大宮はガチでかっこいい。男の俺でもグチョ濡れですわ。 って、コレじゃ友情の感想ですよ。気を取り直して文学少女と繋がれた愚者の感想です。 芥川君と更科さんの過去話は正直な話、ちっともおもしろいとは思いませんでしたけど、その後に行われた劇はすごかったです。 他の人の感想を見ると「遠子先輩のアドリブがかっこいい」と思ってる人が多いようですが、自分は心葉がかっこいいと思いました。それまでは美羽がどうのこうのとか言って回りに迷惑かけて他人を傷つけてただけの心葉が遠子先輩に励まされた後の行動が良かったです。 芥川に一緒に劇に出よう!と声をかけ、琴吹さんに気を使ったりとするシーンがすごい力強くてよかったですね。本当に活き活きとしていた。 アドリブはちょっと長すぎでしたね。もうちょっとスリムにまとめた方が良かったと個人的には思います。 私はあとがきから読むという変な読み方をする人間なのですが、あとがきの横に物語のラスト1ページが見える仕組みは止めて欲しいですね・・・。 おまえがあとがきから読むのを止めろって話なんでしょうけど、自分以外にもこういう人はいると思うんですよ。おかげで3巻最大の衝撃をいきなり見ちゃって拍子抜けしちゃいました。 あとがきは見開きで!これをお願いしたいです。特にこの文学少女シリーズは・・・。 3巻は友情を上手く使っていました。4間もなにがモチーフか知らないんですけど、上手く料理していることを願います。 文学少女シリーズ第二段です。今回はエミリー・ブロンテの嵐が丘をオマージュした作りになっています。さすがに嵐が丘は読んだことはないです。嵐が丘を読んだことがないのであまり踏み込んで話をできないのですが、この本単体としての感想です。 前作どおり、遠子先輩が主人公の心葉が書いた三文小説をにがいだのなんだと言うコントから入り、そこから弟君と謎の少女が現れ・・・ってミステリ仕立てになってますけど、正直空振りしちゃったって感じですね。ミステリの解決はかなり強引ですしね。 ラストの怒涛の展開で感動したって人もいるらしいんですけど、個人的にはいろいろと納得できないですね。なんか安易に愛とか絆に逃げちゃったって印象です。いきなり愛してただとかとか言われてもどうとも思いません。もうちょっとタメがないとダメだと思う。 嵐が丘に似せようとして、あっちこっちに綻びが出ちゃったって感じです。食事のはいくらなんでもやりすぎじゃないかなー。 きっちり似せなくても雰囲気や登場人物の配置が似てれば問題ないと思うんですけどね。 本筋はあんまり好きになれなかったけど、心葉を遠子先輩が武蔵野を引き合いに出して励ますシーンは良かった。 いつもは無遠慮で空回りしている遠子先輩だけど、本当は心の優しい文学少女なんだ、って思える素晴らしいシーンだと思っています。 1作目に比べるといろいろ落ちるなぁ・・・と言うのが正直な感想です。やっぱり嵐が丘に無理に似せようとしたのが失敗ですね。 3作目がなにをモチーフにしているのかまだ知らないのですが、上手く作品と融合していることを望みます。 くまのプーさんや劇作家で有名なA.A.ミルンの唯一の推理小説。しかし、人によっては四日間の不思議もミステリに分類されるそうなので、ミルン唯一の「長編推理小説」ということになってるみたいです。しかし、「唯一」ってつくとなんかすごい気がして欲しくなっちゃうので、こういうややこしいのも仕方ないかなと思うのです。 ミステリ小説としては、ミルンがはしがきで書いている「理想の推理小説」を元にプロットが練りに練られているなと感じました。ですが、古典なんで謎解きはそんなに難しくないです。ふだんからミステリに親しんでいるような人ならすぐ解けると思います(まぁ、そんな人はこういう古典はとっくに抑えてるでしょうけど)。トリック自体はわからなくても犯人はさすがにすぐ判ると思います、というかわからない人はいないと思います。 そのトリックもびっくり系統なんですが、さすがに現代の視点で捉えると厳しいですね。さすがにそれはないだろ、と思ってしまいます。 しかし、この小説の最大の魅力は推理やトリックではなく探偵役とワトソン役であるギリンガムとベヴリーの軽妙洒脱な掛け合いにあると思います。嫌味がなく読んでいて非常に愉快な気持ちになります。 「うむ、かなり役に立つと思うんだ。それだけのことだよ」「と、シャーロック・ホームズが謎のようなことを言った」ベヴリーはこうつけ加えた。「一瞬ののち、友人のワトスンは彼を池に放り込んだ」 「そうだ。それにマークは、ミドルストンへ行く途中、自動車をとめ、あの家まで山坂を越えて五百四、五十メートルてくてく歩いた挙句、『やあ、時にノーベリーの奥さん、まだお話ししていなかったと思いますが、実はわたくしにはロバートという名のうしろ暗い兄がおりましてな』こういってまだぞろ山坂こえて五百四、五十メートルてくてく歩いて自動車に戻り、さてそれからミドルストンへ向けて発車。こんなことがあり得るだろうか?」 こんな感じで相手を小馬鹿にした会話なんですが、不思議と嫌味を感じない。いいセンスしてるなぁ、と翻訳文でも感じました。 ミルンが言うとおり、しろうと探偵にしなかったらこの軽快な空気は出せなかったんじゃないかって思いますね。くろうと探偵だとこうは行かないんじゃないかと。 翻訳が・・・と最初は思うかもしれないけど、そこはがんばって乗り切って最後まで読んで欲しいですね。こんな楽しいい空気の推理小説はそんなにないんじゃないでしょうか? トリックも練られてるし、愉快な小説なんで「推理小説にあまり興味ない」って人にこそ勧めたい一冊ですね。 なんでもハードボイルドの巨匠たるチャンドラーが警察の捜査上の不備を七か条あげて痛烈に難じたそうです。彼の小説は大好きですが、この意見には納得できないですね。 なんでもリアルならいいってもんじゃないでしょう。推理小説は推理を楽しむものなんだから不必要ならばリアルを切り取っても問題ないと個人的には思います。 まぁ、それっぽさは絶対に必要ですけどね。 この赤い館の秘密はそれっぽかったので問題ないと考えています。
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